サントリービール ペンギンのCM
昔のCMでペンギンが歌ってるCMがありました。
サントリービールのCMですが、このCMソングを歌ったのが松田聖子。
サントリー ビール CM 松田聖子 - Sweet Memories カサブランカ&ボクシング編
懐かしいCMです。たしか80年代前半だったと記憶してます。
グッズもたしかあって、それが欲しくて親にお願いしたもんです。
そして子供心に、このCMを観て大人の扉をちょっと開いて覗いた気分になってたのでした。
曲調とアニメの感じが可愛くも大人な雰囲気がありましたからね。
たまたまこの曲を聴いて、思い出したCM作品です。
『超高速! 参勤交代』の参勤交代とは?
映画『超高速! 参勤交代』
参勤交代が舞台の作品なんですが、そもそも参勤交代ってなんでしょう?
元々は、各地の大名が幕府のトップである征夷大将軍に家来になりますよと誓い、その見返りとして家と領地を認めてやるから人質と挨拶に来いってのがそもそもの始まり。
秀吉の頃から秀吉のいる京都や伏見、大阪に各大名が屋敷を建てて、妻子などを人質として住まわせ、自らも呼ばれれば出向いてご奉公していたようです。
江戸時代も最初の頃は同じく江戸に屋敷を建てて、ご奉公していたそうなんですが、これがやがて1年に1回でルールも整備されてきたのが武家諸法度が整備された頃だとか。
それまでは、いつ江戸に行くのか、そしていつ帰っていいのかもとくにルールがなかったようで、大名もかなり負担だったそうです。
なので、現代と同じくルールを定められれば大名も幕府もそれに沿って対応すればいいのでホッとしたそうです。
たしかに、すべてが手探り状態なんて、担当だったら嫌ですよ。
ちなみに、参勤交代はいわば儀礼のような感じなので、格式というものがでてきます。
実際、経費もかなりかかるので、映画の中でも忍足を雇ったり、宿場以外は走ったりと色々と苦労していたようですが、幕府側が「あまり派手にしなくていいよ」と伝えても大名側は格式という面子がありますので、おいそれと目に見える節約はしなかったそうです。
いやはや、面子ってのも大変なもんです。
ちなみに参勤交代の制度は政治的な儀礼なので、廃止にはなりませんでした。
でも、この制度があったからこそ、各地の情報が江戸などを通じて伝わり、この行事によって雇用や需要が生まれ経済も活発になっていたと考えれば、まんざら悪くなかったのかもしれませんね。
それに、大名同士も交流が深まったりしたでしょうしね。
例えば、「うち、今度こんな感じで村おこししようかと考えてるんだけどさ」
「マジで!?それ、うちもやってみていい??」
「おー、うまくいったらまた江戸に来た時に教えてよ」
「了解」
てな感じで(笑)
なんとなく国際会議(サミット)みたいな感じでもあったのかもしれません。
昔、教科書で習ったような「大名たちのお金を使わせるため」ってだけではなかったんだと思います。
色々な角度で歴史を観てみると面白いですね。
ドクターコトー診療所
このドラマはハマりましたね(*^^*)
コトー先生演じる吉岡秀隆の頼りなさげでも優しくまっすぐなコトー先生。
とにかく患者に寄り添い、病気を治そうとするコトー先生と最初は疑心暗鬼だった島の人々が徐々に理解して共に生きていく医療ドラマ。
Dr.コトー診療所 ♪銀の龍の背に乗って[サントラ]【HD】
原作の漫画バージョンも読んでいて、ドラマと漫画では設定がやや異なることもあるのですが、基本は原作をなぞっていていい作品です。
この作品、子供も多く出演します。これがまたいい演出で、ついつい涙してしまったりします。
ドラマで感動して泣くってこの作品で初めての経験でした。
フジテレビ、また制作してくれないかな。
数学が苦手な私が愛読した『博士の愛した数式』
どうにも子供の頃から算数、数学は苦手な科目。
今ではどうかと尋ねられたら、昔に比べれば嫌いではないと答えられます。
逆に昔は得意だった現代文などはちょっと難しいかも。
人に教えるとなると、数学は答えがありますから、それに向かって公式なり使って導けばいいのです(昔はその公式がなぜ存在するのか?って段階で立ち往生してましたから)。
でも、現代文などはどこか感性みたいな部分があるせいか、人に説明する際に「どうしてそう感じたって?いやぁ、そう感じたんだからしょうがない」と答えようがないことに気づきました。
本当は「なぜそう感じたのかを説明できる力」を試されてるのでしょうから本当の意味で私は学生時代、試験していても失格だったのかもしれません。
そんな私が数学を面白いと感じた作品があります。
『博士の愛した数式』
これまたいつものように最初に映画を観てから本を購入したパターンなんですが、数字で人とコミュニケーションをしたり、公式の意味の説明などを読んでて、改めて興味を持つことができた作品です。
これ、作者の人が書くにあたって数学者に取材して作ったそうで、数学者の人が見ている景色を文章的にわかりやすく書いてくれてるのがいいですね。
おかげで数学嫌いから少し好きに傾きました。
寺尾聡の演技がまたいいんですよ(^^)/
ビルの夕日を眺めて・とにかく働いたあの頃
ビルの夕日を眺めて、ふとあの頃を思い出します。
それは東京に出始めた1995年の春のこと。
通学していた専門学校のビルの階段から眺めていた池袋の夕焼け。
まだ何者になるのかもまったくわからず、なにも見えていない頃、とりあえず東京に出て専門学校で法律の勉強をしてみたって感じの頃です。
何がしたいのかも何になりたいのかもまるっきり見えてない。
それは今でも同じではありますが・・・(笑)
ただ、なんとなくこの東京で仕事して何かしら身に着けようと思っていたあの頃です。
若かったですねぇ、ほんと。
でも、人生にはそんな時期ってのは大切な時期なんだと思います。
当時はまるっきりお金がないので、お昼は水道水だけってこともありました。
さすがに何かしらバイトをしようといくつか探して、飛び込んだのが某ハンバーガーショップ。
たしかろくに履歴書なんかも書いてなかったと思います。
とりあえず働ければって感じで入って、右も左もわからずに右往左往しながら、怒られながらバイトしてました。
いつも授業が終わってからバイトなので、夕日の頃はバイト開始の時間。
懐かしいもんです。
ちなみにバイトメンバーと朝までオールナイトで朝帰りの頃。
朝日を浴びたサンシャインビルを眺めながら「森高千里」のララサンシャインをみんなで合唱して帰ったのでした。
ほんと、悩める時期のアホな思い出です(笑)
かつてあったアイテム『任天堂・ディスクシステム』
かつて一世を風靡したファミコン(ファミリーコンピュータ)。
私は当時小学生でしたが、じつは持ったことがありません。
なので基本的には友達の家でゲームをすることになります。
当時は「スーパーマリオブラザーズ」や「ボンバーマン」など今から見れば古典的なゲームで楽しんだものです。
ただ、ゲームが終われば基本的にまたリセットされるのがファミコンの弱点。
なので、ゲームのきりが悪いとなかなか席を立てず、親などに叱られたもんです。
そこにデータを保存して途中から続きができるシステム「ディスクシステム」が登場。
懐かしい。
でもこれ、ちょいとお値段が高かった記憶があり、当時の私の友達では持っていた人がたしかいませんでした。
よその学校のコで持ってるコがいて、そこにわざわざお邪魔して実際に書き換えしてるところなんぞを見学させてもらったことがあります。
今ではなんてこともない「書き換え」なんですが、当時はそれが画期的で、子供達にとってはやけに未来を感じさせるアイテムなのでした。
もう30年くらい経過したんですかねぇ。