『超高速! 参勤交代』の参勤交代とは?
映画『超高速! 参勤交代』
参勤交代が舞台の作品なんですが、そもそも参勤交代ってなんでしょう?
元々は、各地の大名が幕府のトップである征夷大将軍に家来になりますよと誓い、その見返りとして家と領地を認めてやるから人質と挨拶に来いってのがそもそもの始まり。
秀吉の頃から秀吉のいる京都や伏見、大阪に各大名が屋敷を建てて、妻子などを人質として住まわせ、自らも呼ばれれば出向いてご奉公していたようです。
江戸時代も最初の頃は同じく江戸に屋敷を建てて、ご奉公していたそうなんですが、これがやがて1年に1回でルールも整備されてきたのが武家諸法度が整備された頃だとか。
それまでは、いつ江戸に行くのか、そしていつ帰っていいのかもとくにルールがなかったようで、大名もかなり負担だったそうです。
なので、現代と同じくルールを定められれば大名も幕府もそれに沿って対応すればいいのでホッとしたそうです。
たしかに、すべてが手探り状態なんて、担当だったら嫌ですよ。
ちなみに、参勤交代はいわば儀礼のような感じなので、格式というものがでてきます。
実際、経費もかなりかかるので、映画の中でも忍足を雇ったり、宿場以外は走ったりと色々と苦労していたようですが、幕府側が「あまり派手にしなくていいよ」と伝えても大名側は格式という面子がありますので、おいそれと目に見える節約はしなかったそうです。
いやはや、面子ってのも大変なもんです。
ちなみに参勤交代の制度は政治的な儀礼なので、廃止にはなりませんでした。
でも、この制度があったからこそ、各地の情報が江戸などを通じて伝わり、この行事によって雇用や需要が生まれ経済も活発になっていたと考えれば、まんざら悪くなかったのかもしれませんね。
それに、大名同士も交流が深まったりしたでしょうしね。
例えば、「うち、今度こんな感じで村おこししようかと考えてるんだけどさ」
「マジで!?それ、うちもやってみていい??」
「おー、うまくいったらまた江戸に来た時に教えてよ」
「了解」
てな感じで(笑)
なんとなく国際会議(サミット)みたいな感じでもあったのかもしれません。
昔、教科書で習ったような「大名たちのお金を使わせるため」ってだけではなかったんだと思います。
色々な角度で歴史を観てみると面白いですね。